「キャビンアテンダントを元にしたあるあるネタ」で人気を集めている、CRAZY COCOさん。
ネタに得意な英語を取り入れたりと、新しいスタイルの芸人さんですね。
35歳からお笑い芸人を志したという遅咲きですが、その生い立ちがかなり壮絶なんだとか。
今回は、CRAZY COCO(クレイジーココ)さんの生い立ちについて、調査しました!
それでは、どうぞご覧ください。
CRAZY COCOの家族構成

CRAZY COCOさんの家族構成は、両親との3人です。
父親:ALSを患っていた
母親:正子(まさこ)さん
本人:CRAZY COCOさん
ご家族について、順番に見ていきましょう。
CRAZY COCOの生い立ちが衝撃?父親は難病で他界し母親と2人三脚での生活!

入院生活を余儀なくされ、CRAZY COCOさんが14歳のときにこの世を去ってしまいました。
その後、ずっと母子家庭で育ってきた、CRAZY COCOさん。
母の正子さんは、父が入院しているときから40年間、大阪北新地でラウンジのママをやっていました。

小さい頃は仕事の内容を詳しく教えてもらえず、「社長をやっているよ」と聞かされていたそうです。
CRAZY COCOさんの友人も、お母さん目当てに会いに行くほど、元気をもらえるお店だったそうですよ。
母は父の介助と仕事、子育ての両立で、かなり大変な日々を送っていました。
父に代わり、毎日たくさんの決断をしていく母を見たCRAZY COCOさんは、「一度きりの人生を悔いなく生きたい!」と思うようになったとか。
そんなCRAZY COCOさんを、母の正子さんはいつも応援してきました。
CRAZY COCOさんが「やりたい!」と言ったことに対し、否定されたことは一度もありません。
35歳で芸人に転身したときも、年齢を理由に諦めるという選択肢はなかったそうです。
母も病気で亡くなっていた

CRAZY COCOさんの母・正子さんも度重なる病魔でお店を閉店することになりました。
CRAZY COCOさんがエミレーツ航空を退社したのは、母の病気がきっかけです。
CRAZY COCOさんが芸人としてテレビで活躍する姿を楽しんでいた矢先、2023年12月にこの世を去っています。
最後は実家で、CRAZY COCOさん叔母の腕の中で、安らかに息を引き取ったそうです。
母の影響で海外へ

CRAZY COCOさんは幼少期から活発なお調子者で、母の影響で漠然と「社長になりたい」と口にしていたそうです。
母は毎日何百件も営業メールを送り、土日は接待なんて生活をずっと続けていました。
しかし家族を大切にしており、アメリカから親戚が来るタイミングで皆で旅行に行ったことも。
やはりALSを患った父を連れて行くのは、ものすごくハードルが高かったそうです。
そして、クラッシクバレエやダンスを習っていたCRAZY COCOさんは、人前で表現する事が大好きになりました。
このころから、「エンターテイナーになりたい!」という夢が芽生えいきます。
crazy cocoの現在

流通科学大学在学中、1年間休学してオーストラリアへ10か月間留学し、英語を習得。
英語力を活かすためにタオル商社へ入社するも、中国担当になり、3年程で辞めています。
友人からエミレーツ航空のキャビンアテンダント募集の話を聞き、応募するも1回目は不合格に。
2回目に応募するため、商社で働きつつ半年ほど予備校に通い、合格しています。

エミレーツ航空時代は、普通に働いても面白くないので、「白目で給仕してばれずにできるか」など突拍子もないことをしていたそうです(笑)
そのため、同僚には「クレイジージャパニーズ」と呼ばれていたそうですよ。
また、本名の「のりこ」は外国人には覚えにくいので、「ココ・シャネル」「ココナッツ」から、「ココ」と名乗っています。
4年半ほど勤務したのち、母の病気がきっかけで退職。
しかし、キャビンアテンダントの時の自分を超えられず、物足りない思いをしたそうです。
またこの時、新型コロナウィルスに感染し、2週間入院することに。
この入院がきっかけで、「現状を打破したい!」と、エンターテイナーの道へ進みます。

すでに35歳という年齢から、お笑いの養成所に通うのを断念し、女芸人NO.1決定戦「THE W」の第一次エントリーを見つけます。
退院後、いきなり「THE W」の動画審査に応募し、アマチュアながら準決勝まで進むことができました。
そのバイタリティと、運を自分でつかみに行く姿勢が、今の成功につながっているのですね。
現在は活動拠点を大阪にしており、主にインスタライブや自身のYouTubeチャンネルにネタをアップしています。
まとめ
今回は、CRAZY COCO(クレイジーココ)さんの生い立ちについて、紹介しました。
CRAZY COCOさんは父が難病のため寝たきりで、母が女手一つで育ててくれた苦労人だったようです。
「一度きりの人生やりたいことやるべき」というモットーで、さまざまな職を経験し今に至ります。
今後の活躍にも注目ですね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。